(経済社会学会ニューズレターno.23より)
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学部で担当する「政策科学」は、複雑で複合的要因からなる公共的な政策課題を「政策過程」を軸に、そこで展開されるアクターとその影響力の多元的な相互作用を解きほぐして分析し、あるいは表層のアクターの行為舞台を形成する深層の社会構造を発見し、問題解決の政策提言を行うものです。J.キングダン流に言えば、問題と政策代替案と政治の各々独立な「流れ」が、ある決定的時期にのみ開く「窓」(ロケットの発射時限 launch window に由来)へと「合流」する必然と偶然の歴史模様に学び、「歴史的現在」から未来を志向しようとするものです。 だが、どんな未来なのか?自助・共助・公助の軸の前者に傾いた議論が盛んですが、私がこの政策科学を足場に近年関心を寄せるのは、その地の独自の諸資源に依拠して地域社会の核となり又育まれても来た中小企業の集積地(「産業地域」)の動向です。ひょっとして、ここに「社会的分業と協力が不可欠なのに集団形成の本能を欠く人間」(関曠野)が、歴史と公共精神を学びあえる場を、原理を見い出せるのではないか、と思うからです。
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埴科日記(98/3/16〜21)
埴科日記(はにしな・にっき) :長野県埴科郡坂城町、隣は同・戸倉町、更級郡(さらしなぐん)上山田や更埴市(こうしょくし)
3/16(月)晴れ
夜、なかなか寝付けず、デジカメの充電・地図チェック・「坂城町工業発達史」読み・調査用メモ作り等をする。
3/17(火)粉雪
昼食は、サンドイッチとクリームシチュー、牛乳1パック。午後3時まで昼寝、昨夜の寝不足を補う。が、外は依然雪が降り止まぬ。5時まで坂城の資料を読む。5時過ぎに入浴。夕食は、サケと海老のフライにタルタルソースにチキンのトマト汁煮、豚汁、オレンジ。雪は止まず。今日、長野は1度Cと寒気で冬に舞い戻りとか。明日の朝も、高気圧で冷え込むが日中は晴れて温度も上がる模様。菅平口の先で雪がなければ、チェーンを外し、上田・菅平インターで乗り、坂城インターで降りて、18号に合流する予定。
3/18(水)
9時20分。3棟の管理部がある2階へ登り、応接間で1時間ほど、取締役管理部長・Kさんに話を伺う(テープ録音)。次に、二階の同一フロワーにある大した仕切もない設計部、管理部、営業部などをデジカメで撮影。また、同場所に陳列されていた製品を撮影。パンフも貰う。続いて、1階の工場を見学。切削しているマシンやNC機械を間近に見る。液晶画面に書かれている通りに、2階で先程見たツールを工具を自動的に換えつつ摩擦熱を除く液体が大量に吹き付けられる(窓に飛び散り見える)中で切削が行われていく。正にツールがクローンの様にツールを作る感じ(翌日に案内してくれたM総務課課長は、それを言うなら富士通ファナテックのロボットがロボットを作る方の事で、当社で自社作のマシンで切削をやるのは極僅かで、あれはデモ用です。)。また、それらマシンの列の隣には佐川やヤマトのように「自動倉庫」の棚があり、切削の単位が一組ずつ整理されてマシンに装填される順番を待っている。隣の部屋々々には、切削されたものを研磨するパート、何メートルも深く杭を打って影響を除く様作られた検査室、長い棒材を自動で送り込む部分と自動切削する部分から出来た当社オリジナルの工作機械(ここで、棒材がチャックで押さえられ、それをNCでこれまた先に作られた切削様ツール3種類を装備した部分で切削してチャックを作るのが良く見て取れた)、単品に応じる旧式の旋盤(それを扱える人は少なくなっている)、細かな線を刻む部屋等があった。
Kさんのクルマで、直ぐ近くの役場の商工課へ行き、話を振興係長から聞く(録音)。商工課長兼坂城勤労者総合福祉センター所長は、議会中で、帰り際に挨拶す(商学部のU先生に宜しくと言われる)。係長さん曰く、浅間テクノポリスは県のレベルで、第四次の2000年までの新計画を纏めているところ。テクノセンターで技術支援を、町は融資面で支援している。無尽講は昔の話か、インフォーマル。
Kさんの行き着けのそばやへ行き、旨い天そばをご馳走になる。途中、Y製作所や、A社第2工場、文教地区を通過して、18号で金井中之条工業団地の(財)さかきテクノセンターを訪問。千曲川に合流する谷川が18号と交差する交差点(角に立派な栗林製作所がある)を曲がると直ぐそこ。事務/庶務係長に建物の各部屋を案内される(デジカメ)。
続いて3時半過ぎ、Kさんの好意で、優良企業のN社を訪問。広い敷地(製品の特性上、平置きのため)に明るい近代的高層ビルがセンター近くの18号沿いに聳える。工場はともかく研究センターというビルは各階の受付といい驚き。M人事部長とT係長に白い帽子着用で工場案内(撮影禁)をして貰い、話を聞く(録音)。しかし、A社と違い、部品ではなく、完成品をしかも殆どは他で作られた部品(本体部は川口の鋳物)を組み立て検査するのみの余裕と自信たっぷり。従って、行政の対応には、何もしていない、とバッサリ。少し、私の福祉事業のアイデアが帽子と同様に座を白くした。但し、ビール会社のビール瓶ケースのリサイクルでホークリフト用ケースを開発からバイク部品、スキューバーダイビング用品、ゴルフボール・クラブの柄、靴底、ボタン、注射針や点滴用サック、とにかく身の回りの殆どのプラスチック製品を作るのに必要な射出形成機を業界1位で作っているのを知り、納得。帰り際に、創業者の「回想」(戦後満州から引き揚げて早稲田鶴巻町に住む従兄弟を訪ねる所から書き始まる)と大島敬治「嵐を求めて」の2著を頂く。成果大。
5時過ぎにA社に戻り、社紋の云われが書かれた社内報のコピーを貰って、セミナーハウスへ帰る。安心の為、菅平口前でチェーンを装着。6時半到着。夕食は、鹿児島風の辛い味噌仕立てのおでん(臓物か、すね肉か串ざしが2本が入っていた)。菜っぱいりご飯。トロ叩き、野菜サラダ。
3/19(木)晴れ
9時。やはり坂城の大半を占める零細企業を見たくなる。センターの前にと、A社のM課長に電話で依頼。その件はKさんが詳しく、少し引いていたが、9時半に再度電話したらOK。直ぐ向かう。前回のスキーで九死に一生の際にチェーンを装着した例の場所でチェーンを外し、急ぐ。途中でテープを2本買い、JAでガソリンを満タンにし高速を飛ばして、10時45分に到着。応接室で2社(12名と夫婦2名)電話でアポを取ってくれ、M課長の車でまA社の残る3工場を見学。第4工場は倒産しかかった工場を付き合いのある銀行の要請で買収したとか、テープを回せず残念。次に第3工場。2階の組立・検査ラインは撮影禁。運転手もしたときのブレーキの話、鯛焼きの感想文の話、上山田温泉の浴衣事件といった創業者達を淀みなく語るKさんとは違って、Mさんは製造工程や部品の位置づけや他の会社の話などを語って別な面白さがある。本当に人それぞれ。勉強になった。今日はKさんが銀行の相手で都合が悪く、逆にMさんの違った話が聞けた。
昼を一人でラーメン。一時過ぎに坂城IC近くで高速より上、山に迫った集落より離れた所にある(有)A社を見学。伝説の一匹狼とはこの人では、と思わせるN社長の話を聞く。切削加工の困難なタングステンやモブデンを自在に削り、他の追随を許さず半導体の仕事に忙しいという。とても興味深い話。それと最新機械(A社の親会社のM鉄工のマシンも数台あった)のなんと多いことか。すごい!奥さんと長男と次男も働く。スローガンもA社やN社のコストダウンとは次元が違う。
2時45分にテクノセンター。Y係長が今朝電話で依頼済みの資料を用意していてくれた。有り難い。用意した質問をし、資料も追加して貰った(録音)。途中、Nセンター長が始めてもう300社を数えたという巡回から帰って話に加わる。射出成形機のプラモデル(センター所長のYさんはN社の社長で、早稲田の商学部出とか。そのN社が、ニューリーダーの会のアイデアで作ったという。しかし、長続きせず、もう在庫なしという貴重な品)を欲しいとねだると、Y信州方言とフットワークの良さでN社に電話しましょうか、と直ぐ行動。残る一個を下さった。長野県の皆さん、感動をありがとう!展示品と構内を撮影。Kさんに電話で報告と謝辞。
Nさん縁の「文化の館」を案内して貰う。Nさんの母君の弟、つまり叔父さんは、元Y証券の相談役で故塚田氏で町に文化財として寄贈。Nさんが子供時代良く遊び泊まったという家は、明治に一部が焼失した大屋敷で、嘗ての陣屋。もう天井の梁の大木だけが残る2階屋で庭園がすばらしく落ち着く。庭に野点の場所、2階には茶室がある。18号に面した門構えが立派で当時を忍ぶことが出来る。半分の幅の北国街道を今の18号に広げる際、長年村長の職にあった当主が、率先して敷地を削ったという。道路の反対側に当時の中条村の役場があった。戦国時代には、と言ってNさんは山を指さし、至る所に山城があり難攻不落だったが武田勢に買収された見方の裏切りで落とされ、松代藩々主が上杉に助けを求めたのが川中島の戦いの始まりだと解説してくれた。理工系とは違う坂城人の顔だ。江戸時代は外様の上田藩や松代藩を見張る為に、この地を天領とし睨みをきかせたという。要衝の地。司馬の「北国街道を行く」をチェックしよう。センターでの出会いは、結局、現在と未来から過去へと回帰した。
5時にセミナーハウスに帰着。入浴。夕食は、ステーキ、サラダ、卵スープ、薩摩上げ、食前酒、アイスクリームのデザート。食後、この日記を書き、本日のテープとフロッピーを簡単に整理。
3/20(金)
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坂城町ホームページ URL http//:www.town.sakaki.nagano.jp/
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−浅間テクノポリス圏における坂城テクノセンターの役割を手 掛かりに−
成績評価や入試等の仕事が一段落するのを待って三月中
旬の一週間、まだ雪の降る菅平セミナーハウスを拠点に、坂城
町での調査に赴いた。以前は上田から国道18号線バイパスで一
時間弱を要したが、長野道の開通に伴い僅か10分足らずで坂城
ICに着き、アクセスの向上(近々、鉄道の新駅も開設予定)に
驚く。
もう一つ大きな違いがあった。何のツテもなく訪れた前
回と異なり今回は某研究会を通して得た紹介者のお陰で、町の
担当者は無論のこと、2〜300人の従業員を擁する優良企業から
難加工を得意とする10人程の異色企業や夫婦だけの工場まで訪
れる幸運に恵まれて工場見学と面接調査を実施し、(財)さか
きテクノセンターでも貴重な話や情報を得る事が出来た点であ
る。
特に、工友会の逸話やスピンオフの別な側面を当時
の体験者本人から聞けた事、地元企業人がかつての「坂城詣で
」を迷惑な思い出として語った事、この町の企業間関係が30%
程の取引関係で「依存と自立」の微妙なバランスを維持してい
る事、不況でも人を減らさず、退出と同じ位の参入もあって企
業数も殆ど不変な事、などが印象深く、バブル崩壊によって大
きな転換期を迎えているという論調とは異なる観察を得た。依
然としてこの北国街道の地には歴史風土に培われた一匹狼的文
化が、若い人々には兎も角も、持続しているのであろう。
坂城町を一拠点とする浅間テクノポリス圏域構想も、長野県
の医療、福祉、教育・研究、工業、自然等の資源を異業種交流
によって新結合して高齢社会での新しい内需と生活の質に先進
的に応える「組織原理の発見」を託そうとする調査者の思惑か
らは遠く、国と県の予算に地元の整備案件をどう乗せていくか
という行政間の話のレベルであるかに思えて、ここでも住民や
地元企業とのコミュニケーションの難しさを知った。 その点で、長野パラリンピックで話題になった障害者用雪上車 の共同開発を「さかきテクノセンター」での研究会が行った意 義と可能性をもっと評価していくべきであろうと考えた。 |